2017年12月27日水曜日

和心の会12月ありがとうございました

今年最後の和心の会、しめくくりのテーマは「利他」です。
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「利他」とは?と考えるとき、読んでそのまま理解すると、「利を自らの物にするのではなく、他に与える」、ということかな、と思います。
そして、この「利」という言葉も、「利益の利」つまり、”もうけ分”、”得するところ”、といったイメージがあり、それを人にゆずる、与えるということと思われます。更に、それをふまえて、物事を自分の損得のためではなく、人のためになることをする、というところまでは解釈できます。

しかし、これまでの学びの中で、私たちが今の社会の中で教えられた、或いは理解してきた言葉の意味は、もっと深めて捉える必要があることが分かってきました。人のためになることをする、というのも、見方を変えれば、何だかおこがましい事のようにも感じられます…。でも、大事なことだとも思うし、いかに、なぜ大事なのか、、、そこが知りたいですね。

さあ、セアロ師がおっしゃるところの「利他」とは…、今回、どんなお話をされたか、例によって振り返ってみたいと思います。

※毎回、このブログでセアロのお話の内容をご紹介させて頂いていますが、楽しみにして下さっているという声もよく耳にするようになりました。有難うございます。ただし、あくまでも、筆者の理解した内容であって、中には発展解釈もあると思いますし、セアロ師の言葉そのままの部分もあれば、前後のお話を踏まえて書き加えている部分もございますので、そこはどうぞご理解くださいませ。

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<利他>
・「利他」というのは、言ってみれば便利な言葉。本当に利他になっているかどうかも分からないのに。
・全ての人、全て違う。人それぞれ”知足”、これで十分というところも違うはず。生まれたところも境遇も違う、一人一人の人生の中で努力の度合いも違うし、満足の度合いもすべて違う。なのに、これが人のため、と思っても違うかもしれない。
・自分が持っている残ったものを人に与えようというのは利他ではない。
・利他、といって良い事のように思うだろうが、利他に何を期待しているのか。「ありがとう」という言葉を求めているたなら、利他ではない。ほとんどの「利他」というのは、「良かれ」をやっているだけでしょ。
・その「良かれと思って…」は本当に邪魔。自分に与えられた1日、24時間しかない。時間さえも全部自分のものなのに、まず、全て自分のものにしてるかが問題。
・時間に振り回されている間は、物に振り回されているだけ。「時間」は「物質」のうち。だから、豊かな心というのは、物ではないところの話。「豊かな心」を求めながら、そこで物質に振り回されている。
・だから無駄な時間を過ごす。自分のやるべきをやらない。人への良かれに使うから、疲れる。
・与えられた自分のための時間、頭が考える自分のものじゃない。時間になったから食べる、時間になったからこうする、ああする…。たんなるクソするためだけの人間になるな。
・人として生きるなら、生き方そのもの、自分の経験すべてを味わい、自分にこれで十分と思うとき、手を差し伸べられるものがあったなら、はじめて「利他」になってる…、そういうものだ。自分が腹を空かせているのに「利他」は無理。
・痛み、苦しみ、悲しみ…、全てこの体があるから感じられる。「今日は休んでもいい…」って、生きている間、自分が持っている時間を無駄にするな。
・瞑想したら、禅を組んだら悟りの世界??どうしてそんな意味のない事求めるの。悟ってどうするの?悟るんだろ、だったら知り尽くせ、全部やり尽くせ、自分がすべてやって自分で味わいきれって。そうじゃないと、利他なんてできない。
・経験、という満足。失敗ということも味わえたら、そこで初めて自分の満足も分かるはず。皆君たち、一人ひとりバラバラに生まれている。息吸って吐いて、寝て食べて…。同じように与えられている一人の人生。なのに、あれが足りない、これが足りない…って、本当に自分が自分にどれだけしてあげたの?それを考えないと。
・それなのに、人の欲の満足は満たそうとする。あれもほしい、これもほしい、って、仲よくなりたいから良かれをする。
・君の体、借り物。自分のものではないよ。それに対してしてあげないのに、他人になんて、無理。もう少し~があったら、もし~だったらできる…?そういうレベルが利他?おかしいでしょ。
・「利他」は、自分の心が豊かであることから。心の豊かさのみが自分のもの。自分の時間、自分に尽くした、その中で物質が人に渡った…かもしれないというような時、人がそれを「利他」というかもしれない。そのように相手に通じるかどうか、相手次第。自分ではどうしようもない。そういうものだ。
・自分自身に「ドヤ顔」できるような自分をもっておかないと。自分にみせてあげて、自分が自分で生まれてよかった、という。それが利他のはじまり。