和心の会9月有難うございました。

和心の会9月は「やすらぎ」をテーマに、12名の方がご参加くださいました。夏も終わりに近づき、朝夕涼しくなってきたところにぴったりのテーマ。「やすらぎ」とは、暑い夏、忙しい日々を過ごし、慌ただしさや感情が波打つような時、何かほっと安堵するようなことがあったとき感じる感覚をいうのでしょうか…。それは、その場の雰囲気、あたたかい言葉や優しい表情に触れた時、あるいは、癒されるような音楽、自然や風景かもしれません。…やすらぎを感じますよね。

では、自分自身がやすらぎを与えられるような自分になるにはどうしたらいいのでしょう。まだまだ自分が安らぎや優しさ、愛を求めている自分だとすると、どう成長していけたらそんな自分になれるでしょうか。陽月堂スタッフも、テーマ「やすらぎ」を思い浮かべながら、「月」をサブテーマに考え準備をさせて頂きました。
石川県らいららさんが9月和心の会に送って下さったハスの花
ダイニング料理の詳細は、こちらのダイニングブログをご覧ください。


さて、本日のセアロのご講話はどんなお話だったでしょうか…。
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「やすらぎ」


  • 嫌なことから逃げたら解決できるのが安らぎではない。選択の中に安らぎはない。そもそも、頭でいい悪いを選んだだけでしょ。良いと思って選んで、それをやって、「これだけやったのに、何でこうなるの?」と人に安らぎを求める。そこでホッとして、これだけ私はやった、という証にしようとしてるだけ。
  • 脳は、過去の中から一番いいものを選んできて当てはめて求める。本当は選べてないのにね。脳は今も明日も知らないから。
  • 選べば選ぶほど正しくない方へ行く。安らぎから遠ざかる。
  • 人から隠れて安らぐなんて、本当は無い。無理です。逃げて避けて「少し一人にさせて…」。安らぎを…、と思っている…。単にその空気から逃げているだけ。単に、新しい出発点を見つけようとしているだけで。逃げればまたそこから繰り返して続くだけなのに。
  • 情熱のかけたところ。それでもやり続けて埋めていく、そして満月になったとき、本当の安らぎが来る。求めてもいない。満月は一瞬。満ちる、欠けるを繰り返す中の一瞬。積み重ね、満ちていき、やり終えた一瞬が満月。その時本当の安らぎがくる。求めてもいない。
  • 正しい道は見えないもの。見えたら正しい道とは言わない。知らない世界、頭の知らない今までやったことのない所を、一歩前、一歩前と歩いていく。頭は、一歩出たつもり、もう一歩先、あと一歩続けないのに、「出たのに…」と言い出す。
  • 景色が変わるまで歩み続けないと。歩んで歩んで、満ち足りるまで、欠けたところを自分で埋めていく。新しいもので埋めていく。いっぱいになって、満ち足りた満月になったら一瞬やすらぎがある。人からも、あの人の近くにいたら気持ちいい、と言われる人になっている。
  • 一瞬の満月、満ち足りた気持ち、そんな自分の満月を自分でつくること。そこに安らぎはある。一生懸命、夢中の姿、その後光を人がみて安らぎを感じる。
  • 人の後光を見て、与えたくなる。光を感じて施そうとする人が出てくる。感謝、そして労わりたい、という気持ちになる。
  • 人をみて自分がそう思ったら、自分が動く。一歩出る。そうする自分も自分の満月にむかって歩んでいける。そこに自分の安らぎがまた生まれる。
  • 人の後光が自分の光につながる。後光は前にない。光は出そうとして出ない。過去をみる頭は、前に光を見ようとしているだけ。過去の経験から想像はできても、本来の明日のための選択はできない。逃げたい、こうなりたい、ああなりたい、と自分の頭の選択の中から答えは出てこない。
  • 真心こもった料理を食べる。食べて安らぎを感じたとしたら、食べたら安らぎも消える。消えたら一歩進むしかないだろ?
  • 年は重ねていくもの。前に歩いていくもの。出たふりして後ろに下がって…。なぜ後ろにいくの。後ろにいくから幼児返りして…、だからボケるんでしょ。
  • 「傷ついた」…っていうけど、真心は傷つかないよ。作った心は傷つく。「嫌だ、疲れた」…って、頭で答えを選んでこだわって、それを求めて得られないから「傷ついた」、って…。求めて安らぎなど味わえるわけない。
  • 食べ物も同じ。菜食主義の人が「私、肉はだめ」というが、肉がだめなんて、肉の方が迷惑だ。肉じゃなく、お前がだめなんだろう、と言いたい。