2018年6月25日月曜日

和心の会6月

今月は、テーマ「生と死」の前半編、「生きる」をテーマに和心の会6月を開催させて頂きました。セアロ師の言葉に、「精一杯生きたら、精一杯死ねる」という言葉があります。楽しく幸せに生きたい、と願いはあっても、そうはうまく行きません。そもそも、「生きる」という事が辛い、と感じてしまうこともあることでしょう。

今回のセアロ師のお話は、肉体が滅んだ時、それを死んだと知り、決めるのは他人、しかし生きるという事は自分が知り、自分が決めなくてはいけないこと、というお話に始まりました。

生きている間は、死んだフリしても、無理して生きても、楽しく生きてるフリしても、人はそれに気づかないし、自分しか知らない。そして、自分は、空気を吸って食べて寝るだけでは、「生きている」と感じないし、我慢して辛抱して生きれば肉は壊れてしまう…。

そこから、「生命」のお話になり…、
日々の生活の中で一喜一憂するところを「生」、揺らぐことのない深いところを「命」、それを「生命」と考えてみたところのお話は、「自分しか知らない」"生きる"ということをどうとらえていけばよいか、ヒントをたくさん頂けました。

前述、生命の「生」を浅いところと考えると、生は愛や憎しみ、辛い、悲しい、嬉しい…と、常に変化し、病気にもなる。あるいは、苦しみを抱え、克服するから幸せを実感でき、あたかもそれが味わい深いかのような人もいる。
「命」は我慢も不要、迷う事もなければ悩みもない。人からのものや感情に振り回されない。

…この「生」を母性ととらえ、「命」を父性ととらえ、男女とも、両方あって生命、と考えると、浅いところの生活上で揺れる自分があっても、深いところの自分は常に静かに平穏であり、命は悩むこともなく常にそこにある、ということを認識するだけでも、「生きる」ことが少し楽になるのではないか、という事を感じたお話でした。

セアロのお話を主観的に捉えた内容ではありますが、午前のお話のあとの会食中や、終わった後のコーヒータイムに、参加された方から、今日セアロがお話になった中でこういう言葉があり、自分にこういう事が起きていてこのように気づきがあった、と話しかけて下さる方がたくさんいらっしゃいました。

次は、後半の「死」です。とかく負の印象がつきまとい、必ずやってくる、いつ来るかも分からない今生の終止符についてのお話です。お楽しみに…♪

今月の料理はこちら・・・